ガザの黙示録・中東恐怖の未来
ハマスのガザ制圧が示す反米・反イスラエル戦線の中東覇権
日本のみなさんは、先月来中東に起きている重大な変化に気が付かれただろうか。イラクでは相変わらず毎日死者の数をふやしている。イランは相変わらず国連の指示を受け入れず、核兵器開発に邁進している。どちらも悪しき方向は変わらずで、「出口なし」の懸念はいやますばかり。
しかし先月は中東の重要な要衝2カ所で、今後のこの地域の運命を左右するような抗争がほとんど同時に勃発したのだ。ひとつはレバノン。5月20日に親欧米派のシニオラ政権が、レバノン正規軍を動員して北部トリポリに数十年放置していたパレスチナ難民部落を襲撃。叛徒以外の一般市民数千人も居住する市街区域に空爆を挙行。メディアは一切立入禁止となっているので、詳報は包囲を脱出した避難民からしか伝わって来ないが、現状は「今世紀のワルソーゲットー」のような悲惨さである。このレバノン北部トリポリの難民キャンプ、ナルエルバレド抗争のレポートは、いまだ状況進展中なので、態勢が一段落した時点でまとめて報告したい。
先月のレバノンの難民キャンプ襲撃とまさに時を同じくして、イスラエルのガザ地区への爆撃が始まった。元々パレスチナ人が住んでいたこの地域に、米国主導の国連パワーをバックにユダヤ人がイスラエルを建国したのが、1948年。この時以来、地中海沿岸のガザ地区と死海西岸のウェストバンク地区に二分されて押し込められたパレスチナ人は、その後反イスラエル・祖国奪還を標榜したPLOパレスチナ解放戦線を結成して、今日までの60年間常に中東問題の火元となってきていた。
90年代のクリントン政権時に、米国がイスラエルのバラク大統領とPLOのアラファト議長をキャンプデービッドに呼び寄せ、両者の和解握手まで漕ぎ着けたのは奇跡的瞬間だったが、その後のアラファトの翻意で、和平条約などの恒久的解決までにはいたらなかった。
これは単に、欧米民主主義対イスラム革命主義というイデオギーの対立だけではなく、近代から近未来へと発展し続けた欧米先進諸国がおきざりにしてきた、いまだに中世以来の生活様式と貧困に甘んじる後進諸国の貧民層からの、悲痛な叫びと手痛い反撃にほかならない。
欧米社会がこの地域で相対しているのは、同じ時代に生きる人々ではない。たしかにPCやネットという新しい武器を駆使して、反米・反イスラエルのネットワークを形成してはいるが、彼らのマインド設定はいまだに近代ヒューマニズムの洗礼を受けていない、中世以前の野蛮な戦闘時代のままである。血で血を洗う復讐を是とする、ネブカドネザルの民。ここにはミレニアム分の時代の断層が横たわっている。
【米国時間 2007年6月15日 『米流時評』ysbee】
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