ガザの悲劇・4千年の民族抗争
Tragedy of Gaza — The Sectarian Wars over Millenniums in the Mideast
流浪の民の出国記
歴史は無惨に繰り返す。旧約聖書に書かれていることが史実だとすれば、古代エジプトの預言者が「ユダヤの赤子がエジプトを滅ぼす」と予言したばかりに、時のエジプト王はユダヤ人殲滅の命を下し、ユダヤの民はエジプトの圧政を逃れ、モーゼに率いられて紅海をわたる。古代ユダヤ人は死海のほとりパレスチナに「約束の地/Promised Land」を見いだし、其処に住み着く。この「乳と蜜の流れる地」で営々と開墾を続けた後に、イスラエル12支族を結集した史上初のユダヤ人の国家「古代イスラエル王国」を建国。先のモーゼとユダヤ人がエジプトを脱出した時のクロニクルが、旧約聖書の中で『創世記/Genesis』の次に出てくる『出エジプト記/EXODUS』の章である。
イスラエルとユダヤの双頭の王国
爾来、中東のアラブ民族とユダヤ人との確執は、4千年を経た現在でもいまだに憎悪と復讐の血塗られた歴史を繰り返している。
BC10世紀に王国はイスラエルとユダの南北に分裂。BC721年に北のイスラエル王国がアッシリアに、BC612年には南のユダ王国がバビロニアに滅ぼされる。今の言葉に置き換えれば、この時にユダヤ人が戦争捕虜としてバビロニアの首都バビロンへ強制連行された事件が、後世に至るまで歴史に永遠の影を落とす、いわゆる「バビロン捕囚」である。
ローマ帝国属領とディアスポラ
しかしその後BC538年にペルシア王国がバビロニアを攻略し、イスラエル人の捕囚を解放。しかしパレスチナの地に再びユダヤを建国できたのは、当時セレウコス朝マケドニア(シリア王国)の領土から領地を奪還したマカバイ戦争(BC143)まで待たねばならず、またその後すぐにローマ帝国の属州となった。この時代は北アフリカ・地中海沿岸から現在のヨーロッパ全域、西は英国・アイルランドまでの広大な範囲がローマ帝国の領土であった。ローマの統治下ではユダヤ戦争とバル・コクバの乱と2度の反乱が起きたため、ローマ帝国はユダヤ人を徹底的に弾圧した結果、ユダヤ民族は世界中に離散。流浪の民としてのユダヤ人の宿命である「ディアスポラ=民族離散」が、かくしてその後20世紀半ばまで2000年近く続く訳である。
シオニズムとホロコースト
20世紀に入ってから、世界各地に離散していたユダヤ人の祖国復帰運動「シオニズム」が勢力を増し、第一次大戦で英国がオスマントルコを敗ってエルサレム入城。当時の英国首相が唱えた「バルフォア宣言」で、シオニズムが公的に承認される。
しかし、ユダヤ人4千年の歴史でもっとも厳しい試練となったのが、ドイツ第三帝国総統ヒットラーのユダヤ人狩りであり、ヨーロッパ全域からユダヤ人ゲットーへ集められ、その後強制収容所へ送られてガス室などで大量処刑され、実に600万人という壮絶な数の犠牲者を出した。
イスラエル建国とパレスチナ分割
第二次世界大戦におけるナチスのホロコーストに対する代償として、1948年に米国のトルーマン大統領以下の牽引でイスラエルとして建国、翌年国連に加盟し正式に主権国家として承認される。
戦前からユダヤ人の入植地「キブツ」は点在しており、46年当時この大パレスチナ地域にはユダヤ人が70万人、パレスチナ人が130万人居住していたが、国連の決議でユダヤ人の新生イスラエルに2/3の土地を譲与した。パレスチナの地に先祖代々住み着いていたパレスチナ人は、イスラエルを中に挟んで地中海沿岸のガザ地区とヨルダン川西岸のウェストバンクに二分され、両地区とも生地を追放されたパレスチナ人の巨大な難民キャンプと化した。
テロリストの温床
それ以来のイスラエル対パレスチナの攻防は、常に世界を震撼とさせる恐怖のテロ事件で、国際ニュースのトップを頻繁に埋めてきた。最近では一時期クリントン大統領の時代に、イスラエルのバラク首相とパレスチナ解放戦線のアラファト議長がキャンプデービッドで和解の握手をするまでに漕ぎ着けたが、最終的和平協定にまではいたらなかった。その後アラファトは死去、04年にアリエル・シャロン首相がガザ地区からのイスラエル軍の全面撤退と入植者撤去という思い切った政策を実行し、タカ派リクード党のベンヤミン・ネタニヤフがこれに抗議して蔵相を辞任。06年にはシャロン首相も脳卒中に倒れ、5月にオルメルト首相が後任に選出され7月にはレバノンに侵攻。以来タカ派の軍事攻撃をアラブ諸国に対して繰り返したが、国際的世論も国内の評価も地に落ち、現在の支持率わずか14%の死に態である。
ネオコンの中東ニューワールド構想
2000年に入って米国では共和党のブッシュ政権が誕生し、ホワイトハウスの軍事外交ブレーンたるネオコンが「中東ニューワールド構想」を掲げて、アラブ世界の民主化を推進する戦略を強行。その槍玉に挙がったのがイラクのサダム政権。2003年3月の侵攻から3週間でバグダッド陥落。翌年イラク初の民主化総選挙でアルマリキ政権が成立したが、その後は周知の通り「第2のベトナム戦争」と呼ばれるほど泥沼化。戦死者・市民の犠牲者共に只ならない数字の惨状を示している。
イスラム強硬派の軍団形成
一方イラク周辺諸国でも暗殺・蜂起・復讐の内紛が続発し、ここ数年でテロ事件の起らなかった国はない。昨年のイスラエルのレバノン侵攻では、数千年継続した「アラブ対ユダヤ(イスラエル)の闘い」を再現してしまったが、欧米諸国が後ろ盾となる軍事大国のイスラエルをもってしても、レバノンのイスラム強硬派軍団ヒズボラのゲリラ戦術には勝てなかった。
これとシンクロするようにパレスチナのガザ地区でも、米国が容認する穏健派のアッバースが主導するファタハを、イスラム軍団を基盤とするハマスのハニエ代表が選挙で打ち破り、反米反イスラエルのイスラム過激派グループハマスが政権の優位を占める事態となった。
「イスラム三大軍団」の台頭
このように、幾千と群雄割拠する戦国時代のようにムスリム強硬派軍団が各地で台頭する中で、イラクの「マフディ」(ムクタダ・アルサドル) 、レバノンの「ヒズボラ」(ハッサン・ナスララー) 、ガザの「ハマス」(イスマイル・ハニエ) が軍事力、民衆の支持ともに強大なパワーとなってきている。さらに3団体とも、米国国務省は「テロリストグループ」の烙印を押している。大手メディアではまだ誰もそんなタイトルは命名していないが、この三つの叛徒組織が誰の目から見ても現在の中東紛争の鍵を握る「イスラム三大軍団」であることは間違いない。そしてまだ誰も公然と指摘してはいないが、これらの軍団が「米国とイスラエル」という共通の敵を掲げて、国境を越えて連帯し共闘戦線を組む……この恐怖の構図が脳裏から離れない。現在はネット上で、クリックひとつで簡単にテロリストが集結できてしまう時代だからだ。
ミッドイースト外交の砂嵐
もちろん欧米側も当然この事態に対応するかのように、緊急会議を予定している。昨日発表された中には「サミットのサミット」とでも呼べる前代未聞の顔ぶれの会議もある。まずはあさって6/24日曜にエジプトのシャルム・エルシークで開かれるイスラエル・パレスチナ・エジプト・ヨルダンの4カ国会議。これはウェストバンクの首都ラマラーに急遽樹立したアッバース政権を、パレスチナの正統国家として承認擁立する意図であろう。もうひとつが、国連・EU・米国・ロシアの外交団が同じくシャルム・エルシークで会談する「Mideast Quartet/中東4者会談」である。この顔ぶれは国連以外の場では、いまだかつて聞いたことがない。いずれにしても今年の夏は中東が、燃え盛る国際情勢という太陽の黒点であることは間違いない。
【米国時間 2007年6月19日『米流時評』ysbee】
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by ysbee-2
| 2007-06-19 06:45
| 中東のパワーラビリンス